気ままに奈良ブログ

奈良市をぶらり旅192 ~興福院~

2023/11/25
奈良市
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2023年11月25日、奈良市にある興福院(こんぶいん)に行ってきました。

■アライグマ被害
日本各地で野生のアライグマが住宅などの屋根裏にすみ着いて、
建物に損傷をあたえるケースが多数報告されています。
過去に奈良県内でも、當麻寺(たいまでら)の他、世界遺産の唐招提寺(とうしょうだいじ)や
東大寺(とうだいじ)などでアライグマによる被害が発生しています。
アライグマと言えば「あらいぐまラスカル」のようにカワイイ印象がありますが、
実際のアライグマは凶暴で、鋭い爪を持っているため近付くと非常に危険です。

今年2023年9月、奈良市の興福院にある重要文化財の客殿(きゃくでん)の屋根が、
アライグマによって穴があけられていることが発覚。雨漏りなどの被害が出ました。
これにより興福院は、屋根の葺替え工事に必要な修理資金を集めるために、
普段は見ることができない本堂・客殿・茶室を11月24日から3日間限定で公開することにしました。
特に茶室を一般公開するのは、今回が初めてだそうです。

なお、被害があった屋根を最後に葺替えしたのは25年前の1998年(平成10年)で、
調査によると経年による傷みもあったようです。
興福院は「アライグマが屋根の葺替え時期を知らせてくれたのではないか」と考え、
アライグマをあまり責めずに檜皮葺修理の象徴としているようです。


興福院
住所:奈良市法蓮町881
アクセス:
 ・近鉄奈良駅から徒歩19分、またはJRの奈良駅から徒歩23分。
 ・JRの奈良駅(西口)、または近鉄奈良駅から「加茂駅」・「高の原駅」行きのバスに乗り、
  鴻ノ池バス停で下車し、徒歩6分。
 ・JRの奈良駅(西口)、または近鉄奈良駅から「大和西大寺駅」行きのバスに乗り、
  育英学園バス停で下車し、徒歩7分。
 ・近鉄の大和西大寺駅(北口)から「JR奈良駅西口」行きのバスに乗り、
  佐保小学校バス停で下車し、徒歩4分。
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興福院は一般公開されていないお寺なので、訪れるのは今回が初めてです。
浄土宗の尼寺(あまでら)で、山号は法蓮山(ほうれんさん)。
寺伝によると奈良時代の天平勝宝年間(749年~757年)に、和気清麻呂(わけ の きよまろ)が
第45代・聖武(しょうむ)天皇の学問所を弘文院というお寺として移設したのが始まりだと
伝えられています。
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なお興福院は、もともと近鉄橿原線(かしはらせん)の尼ヶ辻駅(あまがつじえき)付近に
あったらしく、その場所はかつて添上郡(そえかみぐん)興福院村と呼ばれていました。
現在の場所に移ったのは、1665年(寛文5年)頃だそうです。

不可酒肉五辛入寺門
大門の脇には「不可酒肉五辛入寺門」と書かれた石柱が立っています。
これは、「酒・肉および五種類の辛味や臭気の強い野菜を食した者は、
門を入ってはいけない」という意味で、違反すると軽垢罪(きょうくざい・軽い罪)になったそうです。
対象の野菜(五辛)は、大蒜(だいさん)、革葱(かくそう)、慈葱(じそう)、蘭葱(らんそう)、
興渠(こうご)に分類され、これらは一般的に韮(にら)、薤(らっきょう)、葱(ねぎ)、
蒜(にんにく)、薑(はじかみ)のことを指すそうです。
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中門
境内の紅葉
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客殿(写真左)
今回、アライグマ被害のあった建物はこちらの客殿です。
江戸時代前期の1642年(寛永19年)建立の本堂と、ほぼ同じ頃の建物です。
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写真の赤丸部分が、アライグマに穴をあけられた場所です。
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檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が無残な姿になっています。
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屋根は瓦などを置いて応急処置されていました(写真右下)。
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客殿
受付を終えたら、まずは客殿を見学します。
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庭園
庭園はもともと江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州(こぼり えんしゅう・政一)が手掛けました。
なお移築時に、庭は「遠州好み」のものに作り直されました。
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客殿は桁行6間半、梁間4間半となっており、東西2列に3室ずつ計6間があります。
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襖(ふすま)絵は、江戸時代中期の絵師・渡辺 始興(わたなべ しこう・もとおき)のものです。
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障子の襖絵は、江戸時代中期に活躍した狩野派の絵師・鶴澤探索(つるさわ たんさく)のもの。
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一見、ハート形に見える猪目(いのめ)と呼ばれる文様は、
昔から魔除けの意味を込めて使われてきました。
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柚子(ゆず)?
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客殿から見た渡廊下(写真左)と本堂(写真右)。
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客殿から渡り廊下を渡ると本堂へ行くことができます。
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ホトトギス
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ホトトギスは秋に日陰で咲く花で、若葉や花にある斑点模様が
鳥のホトトギスの胸にある模様と似ていることから、この名が付いたそうです。
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渡り廊下
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渡り廊下から見た境内
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渡り廊下から見た本堂
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御霊屋(おたまや)
渡り廊下の途中には、第3代将軍・徳川家光(いえみつ)から、
第14代将軍・家茂(いえもち)までの位牌(いはい)が祀られている御霊屋があります。
江戸時代中期の1715年(正徳5年)に建立されたもので、内部には
渡辺始興の障壁画があるそうです(この日は内部非公開)。
奈良県内では珍しい徳川将軍家ゆかりの霊廟建築です。
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御霊屋前から見た境内
写真右が客殿で、写真下が渡り廊下の屋根です。
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本堂
本堂は江戸時代前期の1642年(寛永19年)に再建されたもの。
なお、第4代将軍・家綱(いえつな)により寺地と参道の用地の寄進を受けて、
現在の場所に移築されました。
本尊は阿弥陀三尊(あみださんぞん)。
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客殿の屋根に穴をあけたアライグマをモチーフにしたトートバッグが販売されていました。
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本堂付近から見た渡り廊下
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本堂前の紅葉
本堂で参拝を終えたら、史上初めて一般公開された茶室を見学しました。
しかし、茶室とその周辺は撮影禁止エリアだったため写真はありません。
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木造釈迦如来坐像(もくぞう しゃかにょらいざぞう)
茶室には釈迦如来坐像が安置されていました。この仏像の底面には銘文があり、
東大寺の大仏腹内の古木を使って造られたことがわかります。
東大寺は戦国時代の1567年(永禄10年)に、松永久秀(まつなが ひさひで)などの
兵火により罹災。長らく大仏は野ざらし状態でしたが、江戸時代に入ってしばらくしてから
本格的な復興が始まります。その立役者が三論宗(さんろんしゅう)の僧・公慶(こうけい)です。
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公慶は大仏体内にあった構造補強用の木組みの部材を新しいものに取り替え、
古い木で千体余りの仏像を造るよう仏師に依頼しました。
その仏像は7体しか現存していないそうで、その内の1体が興福院の茶室に安置されています。

興福院参拝時に頂いたクリアファイル
興福院には第5代将軍・綱吉(つなよし)が、側室・瑞春院(ずいしゅんいん)に祝儀を贈る際、
贈り物の上に掛けられた刺繍袱紗(ししゅうふくさ)31点が伝わっています。
これは興福院の住職が1713年(正徳3年)に、江戸城で綱吉の菩提を祈ったときに拝領したもの
と伝えられています。クリアファイルの絵柄は、その刺繍袱紗をモチーフにしています。
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